久世良三サンクゼール創業者の経歴は?出身大学や年収・家族は?

2016-10-31

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こんばんは~。ぴあのねこです。

今日はハロウィンということで、マックでハロウィンポテトを食べてきました。

私が行ったお店では、魔女ポテトが完売していました。紫いも人気のようですね。

さてさて、今回は11/3放送のテレビ東京「カンブリア宮殿」に登場する「サンクゼール」についてです。

仙台泉アウトレットで見かけたこちらのお店。パッケージから南仏を思わせるイメージを持っていたのですが、なんと長野県にある従業員600名の会社であることを知りました。夫婦で始めたジャム作りから全国46店舗の有名店に至るまでの背景、そして創業者である久世良三氏の経歴などについても書きたいと思います。

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久世良三氏の略歴

1950年東京生まれ。慶應大学経済学部卒。(株)ダイエー入社。在庫管理・発注管理を学び、その後、父親が経営する食材卸(株)久世に入社。75年斑尾高原に「ペンション久世」をオープン。妻の手づくりジャムが好評となり、82年ペンションをやめ、(株)斑尾高原農場を設立。ジャムの委託製造販売を開始。87年長野県三水村(現・飯綱町)へ本社と工場を構え、製造から販売までの一貫体制を構築。その後、ワイン製造免許を取得、ぶどう栽培及びワイン醸造を開始。99年軽井沢プリンスアウトレットにある直営1号店が大成功をおさめ、以降全国展開。05年社名を(株)サンクゼールに変更。

中央職業能力開発協会HPより引用

実家の稼業を手伝ううちに、大学時代に訪れていた信州の大自然を頭に思い浮かべるようになり、一年がかりで社長である父親を説得。1975年に斑尾高原にペンションをオープンしたのが始まりでした。

やがて、ペンションに現在の奥様である「久世まゆみ」と出会い、夫婦でペンション経営を始めます。

しかし、オン・オフシーズンの差が大きく、幼子を抱えての仕事は肉体的・精神的にも堪えます。

やがて、まゆみ夫人は実家に帰ってしまいます。

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ペンション経営からジャム作りへ

まゆみ夫人が飯山市の農園さんからりんごやあんずを安く分けてもらってきました。

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地元の農家さんとの交流から季節ごとにおいしい果物が収穫されることを知ったまゆみ夫人は、地元の新鮮なりんごを使って、砂糖を極力抑えた無添加のジャムをつくりました。

ペンションの朝食に出したところ評判を呼び、宿泊客から「作り方を教えてほしい」「わけてくれないか」という声が相次いだのです。はじめのうちは無料で分けていたのですが、注文も多くなり、きちんとした対応が必要になりました。

そこで、手作りジャムの本格的な商品化を計画。工場はペンションの厨房、倉庫はジープの荷台という小さな規模から始まりました。

当時のJAS規格では、「ジャム」と呼べるのが糖度65度以上のものでした。しかし、まゆみ夫人が作るジャムは甘さ控えめの糖度50~55度。「ジャム」名乗れず、「生ジャム」という独自のカテゴリーを付けました。

「合成保存料や着色料を加えず、製造工程を厳しくチェックし、できあがった製品の品質管理をきちんとする…」

現在もサンクゼールのこだわりとして引き継がれているとのことです。

本格的に商品化したまゆみ夫人の手作りジャムは徐々に市場に広がり、ペンション経営をやめ、資本金500万円で(株)斑尾高原農場(現社名・(株)サンクゼール)を設立。1982年(昭和57年)6月のことでした。

1987年にJAS規格は改定され、ジャムは糖度40度以上とされました。

これで、まゆみ夫人が開発したジャムも正式に「ジャム」と呼べるようになりました。

現在は長野に「サンクゼールの丘」と呼ばれる農場兼工房、レストラン等があり、丘の上にはチャペルもあるとの事です。

詳しくは「サンクゼール誕生までのストーリー」

若い頃の久世ご夫妻の写真も載っていました。美人な奥様でしたよ♪

家族については、ペンション時代の話で幼子と出てくるのでお子さんはいらっしゃるようですが、調べた限りではそこまでしか見つけられませんでした。

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