こんばんは、ぴあのねこです。
私が住む東北の日本海側沿岸はこの季節特有の暴風雪に見舞われています。
今朝、ウミネコっぽい鳥が強風に煽られて宙に浮くのがやっとの状態で飛んでいました。
それもそのはず、ニュースで台風並みの風が吹いていたと報じられていましたもの。
ちなみに、過去に真冬真っ只中に年末年始のお疲れさん会を湯野浜沿岸の某旅館で泊りがけで行った時に、駐車場から建物内に通じる道路がツルツルとアイスバーン状態で、風に煽られて逆戻りしてしまったという痛い過去があります…。
なんて、過去の鈍臭い話は置いといて、本題に入りましょうか。
一昔前に、御朱印ブームというものがあり、全国各地の御朱印がブームになってことがありました。
それからかなり年月の過ぎた2019年あたりから、私もちょっとしたきっかけで、神社へ参拝すると御朱印をいただくようになったのですが、ホント些細なきっかけでした。
御朱印ブームの時に「スタンプラリーじゃないんだし」と見向きもしなかった自分が何故御朱印を授かるようになったのか。本来の意味含めて本日は語っていきたいと思います。
御朱印って結局なんなの?
一時期、御朱印ブームと言われていた時に、全て手書き対応されていた東北地方のある神社で、参拝客のマナーが悪いと報じられていたのを見たことがありました。
それもかなり冷ややかな目で。
結局その神社は、手書きの御朱印を取りやめたと後から耳にしましたが、手書きに時間がかかるとかでキレる参拝客がいたのが取りやめのきっかけになったと言われていましたね。
その時に「御朱印はスタンプラリーではない」と宮司さんがおっしゃられていた記憶があります。
そもそも、御朱印とはなんぞや?
ということで、ざっくりと調べてみました。
その起源は、奈良・平安の昔。神社仏閣に書写した経典を奉納した際に戴いた「納経受取の書付」ではないかといわれています。
「神社へ経典を奉納したの?」
と思われる方もあるかも知れませんが、こうした例の代表に「平家納経」があります。これは時の天下人・平清盛が神仏習合思想の影響をうけ、
「厳島神社の御祭神は、十一面観音がお姿をお変えになったもの」
と解釈して奉納したものといわれています。
こうした納経は徐々に一般にも広がり、社寺から「納経受取の書付」を戴いていたことが、やがて納経をせず参拝のみをした場合にも証明を書いてもらうというように変化していったものと考えられています。
鉄道網が整備された明治以降には、巡拝旅行と集印が盛んに行われるようになりました。それに伴って、案内本や旅行記といった書物も出版されるようになり、昭和10年頃から「御朱印」という呼称が見られるようになります。
「御朱印」という呼び名がついたのは、昭和10年頃からという、比較的に新しい呼び名です。
昔は神社に参拝した時に納経をしていたとのこと。
羽黒山の五重塔内部が期間限定で内部公開された時に、確かに仏像が内部に祀られていましたもの。
昔は神道も仏教の一緒だったんだなぁと思いながら見た記憶があります。どれくらい昔の話かは覚えきれていなかったが(そもそも内部の写真撮影禁止だった)
ということで、本来は神社に参拝して納経しないと貰えなかった「納経受取の書付」が、時代と共に参拝すればいただけるものに変化していったということになります。
そもそもなんで今更御朱印?
私が御朱印を集め始めたのは、ファンクラブにも入っている「和楽器バンド」のツアーグッズになった御朱印帳を購入したのがきっかけ。
折角御朱印帳を購入したし、御朱印を授かりに行こうかな…?と軽い気持ちで記念すべき第一弾を探していたらヒットしたのが荘内神社だったという。
こんな感じで、予め和紙に書かれた御朱印。
頂く直前に日付のみ書いてもらい、それ以外は予め用意されているというものです。
これなら、さほど待たずに済むという。
ちなみに、ここの神社は和紙にも拘りがあり、その時に適した和紙を使用しているとの事でした。
筆文字の力強さは勿論のこと、和紙含めた背景も目で見て癒される御朱印になっています。
個人的には「もはやアートな世界」だと勝手に位置付けています。
もしかすると、本格的に御朱印を集めていらっしゃる方々にとっては「邪道だ!」と思われるかもしれません。
ですが、和紙や見た目(文字以外の背景など)にも拘り抜いた御朱印を目で見て癒される
これはコレでアリではないでしょうか。
最後に一昨年の七夕祭と昨年の七夕祭で授けられた御朱印を比較してみます。
↑こちらが一昨年
↑こちらが昨年