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福島3町村で避難指示解除~原発事故から6年~放射能の影響は?

こんばんは。ぴあのねこです。

平成28年度も終わり、明日から平成29年度が始まります。

昨年の年度末は、ちょっとした騒動に巻き込まれていました。

期限付きではあるものの、自分の得意分野である音楽関係の仕事のオファーが来て、当時の仕事もなかなか残業続きで心身共に限界が来ていたのでそろそろ帰ろうかと思い、当時の職場に伝えました。地元の友人から「まだ帰って来ないの?」と言われたので、地元で仕事のオファーが来た話をしたら、まだ内々的な話だったのに言いふらされてしまい、結局はナシになってしまった痛い経験があります。それ以来、彼女には重要な話題をしない事にしました。

さて、明日から新年度ですね。

新たなスタートを切る方も多いと思います。

私も、昨年の今頃は所属する会社はそのままだけど、常駐先を変更するにあたって、引き継ぎに追われましたっけ。

今回は、福島県の原発避難地域に指定されている3町村の一部地域で避難指示解除のニュースがありました。

福島3町村で避難指示解除!やっと復興に向けて踏み出せるものの…放射能が気になる

避難指示が解除されたのは、福島県浪江町と飯舘村の帰還困難区域を除いた地域、そして川俣町の山木屋地区です。このうち浪江町では、日の出に合わせて馬場有町長や町民が霊園に集まり、黙とうを捧げて、震災の犠牲者に避難指示の解除を報告しました。

解除の対象となる地域の人口は、3つの町と村合わせて2万2000人あまりで、このうち浪江町はおよそ1万5000人と避難指示が解除された町村では最も大きい規模です。

一方、飯舘村では避難指示の解除を受け、式典が開かれました。飯舘村は原発事故の影響で6年間にわたって6000人あまりの全ての村民の避難が続いていました。避難指示の解除を受けて、菅野典雄村長は「きょうが真の復興のスタートです」と、復興に向けて決意を示しました。

JNNニュースより

昨年夏に、福島県の小野町から田村市~双葉町~浪江町~南相馬市と車で移動しましたが、夏休み期間だと思われる平日なのに、すれ違う車もなく、家屋は倒壊して、車も放置していたからかサビついた状態という光景を見てきました。

時折、震災で道路が崩れたのかな?と思えるような、新しい道路やトンネルも通り、年配の方が手押し車押しながら歩いているのを見て「人がいた!」とホッとしたことも。

学校らしき建物も見かけましたが、夏休みでいなかったのか避難地域だったのか人気がなかったです。

畑も荒れた状態でしたし、道路の両脇にあった林も車の通りが少ないからか木のトンネルと化していました。

避難地域だった町村も、かなりの震度があったはずです。

しかも、6年間戻れない状態。

家屋は空き家だと痛むのが早いそうです。

地震の影響を受けなかった家であればそのまま住むこともできるかもしれませんが、地震で傾いた家であれば修繕から始めなければなりません。

帰宅困難地域と今回避難解除が出された地域の地図を見つけました。

経済産業省HPより

南相馬市は、風向きの影響で放射能が少なかったのは常磐道を走っていて分かったのですが、浪江町は放射能の数値が高かったのに大丈夫かな?と気になりました。

南相馬市も、常磐道では現在の放射能数値を見ることができたのですが、高速を降りると測定器は至る所にあるものの、数値を示す表示がなく、TVの天気予報と一緒に放射能情報が出ていました。

偶然だったかもしれませんが、私が見たときは海沿いの浜通りより、福島や郡山の中通りが数値高かったような気も。

住み慣れた家に戻りたいという気持ちも分からなくはないのですが、本当に体に影響がない位に放射能値が下がったのか?

放射能の粒子に色がついていれば一目瞭然なのですが、見えないだけに手強いですね。

 

 

 

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